My leaves

スピ実践ログ

自作自演を垣間見る

この界隈にきたきっかけは、就活失敗だった。

仕事がアイデンティティだと思ってるような、典型的なスピ界のカモだった。

かつての本願はある職業につくことだった。

本願はかなわず、ちょっとそれたところの仕事をしてるけど、満足感はあるものの、いまだに勉強が必要。

仕事に慣れたとしても、クオリティを上げるために継続して勉強するのは良いことだと思うけど、それは100を120にするようなことだと思う。

私の場合は10を80とか90にしなきゃいけないイメージ。

これに限らず、ずっと何かを追いかけて資格の勉強したり、講座を受けてみたり…

いったいいつまで追いかけるのか?

なぜいつも難しそうなものばっかり選んで苦しんでるのか…

 

それは、自分のプライドを満たすためだった。

自分の存在意義を確立したいとか思ってる。

なーんだ、自分のプライドを満たすためにわざわざ小難しいこと選んでたのか、、、なにやってんだか。

やっとわかった。

書いてみるとたいしたことないけど、その職業が好きだからかな?とか思ってたけど、違ったのか、とびっくり。

広い空間のとっても狭いところで、一人で勝手にくるくる回ってるイメージ。笑

 

私すごいと思いたい!→難しい何かを探してもってくる→挑戦するも敗北→敗北の理由に不足してるものを挙げて自己否定→でもすごいと思いたい!→以下ループ…

 

やっぱり自愛をするのが良いかな。

自愛メソッド?

今週は、とにかくとりあえず自分最高をやってみようと思う。 スピ界を色々回ってまして最近ようやくまとめ動画に行き着いたのですが、 これがけっこうタメになる〜。 作業BGM的に流してます。あの棒読みがくせになる…笑 今までは、現実のあらゆる点を見てジャッジして、 かわいくないからダメとか性格が暗いから仕方ないとかすごい仕事してないから終わったとか体型が…とかまあ本当に色々自分落としをしてまして、 そんな状況でどうやって最高になるんだと思ってたわけですけど、 その時点でアウトですよね! 現実が先じゃないとあれほど読んだのに… 何の根拠があって最高になれるんだとも思ってましたけど、根拠はない。 根拠がある=時間差発生で、「現実が先」を無意識に採用していると理解しています。好きになる理由みたいな条件は幻のようなものだから、なくてよくて、ただ単に好きだと決めればいいのだと思います。が、随所で見かけるこの表現は、半分ぐらい腑に落ちてるけど、まだ「どうやって?」という抵抗もあります…まあとにかく、とりあえず、今すぐ最高ということで、今週はこれを意識して過ごしてみます♪

パターン回避

最近ハマってること。 いかにエゴから逃れるか。 エゴにつかまってると思ってる時点でもう違うのかもしれない。 でも、今までのエゴのパターンを意識的に回避してみることにした。 何か気に入らないことが起きる ↓ なんで私ばっかり… 気に入らないことを誰かがする ↓ 私が◯◯したのがダメだったんだ とか、色々あるけど、コレ、やめるのにけっこう抵抗がある。 この反応パターンが正解っていうわけでもなく 世界の真理などであるはずもなく ただただ、私の脳内だけで慣れたパターンのはずなのに こう考えないと気が済まない!ってな気になってくる。 でも、ちゃんと、今日は、方向転換しました。パターンに行きそうになったけど、いい加減思考パターンぐらい変えないと何も変わらない気がしてるので、そこぐらい努力してみよう。

良い気分考察

長年引き寄せの法則系の本を読んできたけど、総合的には良い方に進んできたなと思う。 何度か転換点みたいなのがあって、そのうちの一つが「良い気分でいることの大切さ」だ。 あまりにも有名なエイブラハムとかバシャールなんかで言われてるけど、エイブラハムの本は何冊も出てるし何度か挑戦したけど、初見ではいまいちよくわからなかった。 昨今のkindle出版ブームで、良い気分を実践した女の子の本を読んだことがきっかけで、「良い気分でいること」は本当に重要なんだなと思い始めた。 その方だけじゃなく、今では色々な人が個人の体験を書いて出版してるし、書いてあることは「本当の話」なんだろうなと信じられるようになってきた。 それまでは、どこかうさんくさいなーとか怪しいな〜で、まあ本に書いてあることの効果なんて自己責任とか個人の違いとかでいくらでも言い訳がきくんだから、書くだけ書いてあとは放置でも作者にはなんらデメリットはないよなとか思ってた。

それで、どうやって良い気分でいるか?上記の本を読んでから一年以上考えたり探したりしてたけど、これがなかなかわからない。 良い気分を選ぶだけ、とか感情は選べる!とかあの有名な習慣の本とかにも書いてあって、なるほど、選べばいいんだ!と思うんだけど、いざその時がくると選べない。 いや、それはもちろん選べるのかもしれないけど、そんなことより不快が湧き出てくるんだけど…みたいな。 特にホルモンの変化で定期的に振り回されてて、どうにもならなかった。 不快のときは、いくら自分の機嫌をとってみてもダメだった。 不快が100%なんです。どうやって良い気分に切り替えるの?どうやって丸ごと変えるの?と無意識に思ってたんだと思う。 頭の中のイメージとして、不快が全部を占めてる感じ。テンション低いのが自分のノーマルの状態だと思ってた。

それで、最近やっとわかったのが、不快は100%ではないということ。 それしかないような気がしてたけど、そんなことはなくて、他に何か良い部分もあるはずだってやっと気付いた。 不快はある、でも、良い部分もあるよね?っていう感じ。 不快にしか集中しないからそれが全体のような気がしてた。

長年瞑想もしてて、最近は色んなワークのおかげか、瞑想中に限りとても慈悲深い気持ちになることがあるんだけど、そんなときはみんなの幸せを願ってみるときがある。 不快な時に質問してみた。 不快なのはわかったけど、みんなの幸せを少しでも願える余地がまだ自分にはあるかな?って。 その時の答えは「ある」だった。 本当に何事かが起きてイライラが吹き荒んでるときは無理かもしれないけど、いつものなんとなくのモヤモヤならこれでなんとかなるんじゃないか。 それ以来、良いところを見る、とか良い気分を選ぶの意味がようやくわかった。 完全に切り替えて、不快100を快100で上書きするんじゃなくて、どっちも併存する、その上で良い方だけを見る(両方あって、片方にだけ電流を流すとか、電気が点くイメージ)、みたいな。

書いてみると結局、私がわからないと思ってた文と同じような感じになってしまうけど、良い気分考察として一歩進んだような気がする。

 

読んだ本はこちらです。他のシリーズもオススメで、徹底的に良い気分を実践してるのがわかる。さらっと読めて、自分もがんばろうかなーと思える読後感。

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状況の奴隷

何であれ気の進まないもの…私にとっては家事がそうだけど、

とにかくめんどくさくてやりたくない。でもやらざるを得ない。

どうしても好きになれないから、やらされている感じしかしない。

でもそれだと、本当にやる気が出ない。

やらないと、さらに荒んでいく…部屋も心も。やらない自分に嫌気がさして自己嫌悪も。

 

こういうものでも、自分が選んだものの一部であると思って、

その責任を果たすつもりでやる。

とか、

きれいにして気持ちよく過ごすために私はこれをする、とかで、

少し主体的に考えることができれば、やらされてる感が薄くなって、もうちょっとやる気が出るかもしれない。

 

広がり

今日はよく晴れていて、それでいて少しヒンヤリしていて、GWだからかどことなく空気も軽いような、気持ちの良い日だった。

 

そんな日に、私のことにしか集中しないなんて、なんだか閉じこもるみたいで窮屈じゃない?

ワンネス的なものかまだよく知らないけど、たとえば自分の意識を、街路樹や太陽の光、空気中の水分にあると思ってみる。

そうすると、私が広がって希薄になってでもそれが心地良い、そんな気がした。

うらやましい

うらやましい…

多々苛まれるこの感情。ほとほともうイヤなんです。

うらやましいだとまだキレイな言葉ですよね。

オブラートにつつまれた感じの。

 

マンガも好きでよく読むんですが、

最近流行りの転生ものなんかでは、わかりやすく悪役がいるんですよね。

わかりやすい悪役は、わかりやすく嫉妬して暴走します。

 

そうです、うらやましがっているのはいつも脇役。

主人公がドロドロに妬んでる描写がありますかね?笑

 

自分の人生の主役は自分。

妬んでたら脇役と一緒です。

 

と思えばちょっと気持ちがおさまる時もある。